サンタクロース
名古屋駅のツインタワーがイルミネーションで飾られ、すっかりクリスマスの様相を呈している。
もう、そんな季節なんだね、どうりで寒いわけだ。クリスマスの予定がきっちり空いている僕にとっては、余計に寒さが身にしみる。
姪っ子はサンタクロースが存在すると信じている。
僕の子供の頃は、まったくそういうのはなかったなぁ。クリスマスプレゼントはデパートで買ってもらってたし。むしろ、サンタクロースを信じている友達をからかって遊んでいたような気が。。。
でも、姪っ子を見てたら、サンタクロースは存在するかもねって気がしてきた。だって、「サンタさんはお利巧さんにしかプレゼントくれないよ」って一言が、ものすごく劇的な作用を引き起こすのだから。
大人は目に見えるモノしか信じないけど、子供は見えないモノも信じることができる。見えるモノだって、嘘っぱちなモノは沢山あるけど、見えるってことで安心してしまう。本当は見えないモノの中に大切なモノが潜んでいる気がするけど。
僕は子供が生まれたら、サンタクロースはいるんだよって教えてあげることにしよう。その前に、子供を生んでくれるパートナーを見つけて、家族を守る経済力を身につけないと。。。
また、急に寒くなってきた。
熱海旅行
熱海へ旅行に行ってきました。
大学の友人たち数人での一泊旅行、
毎年の恒例行事になりつつあります。
一年ぶりに会う友人たち。
30歳にもなると、
結婚して子供を生んでと、
大学時代では想像できなかった日常を背負ってしまっている。
1年という月日はまたも環境を変えてしまう。
ローンでマイホームを建てたり、
転職をしたり、
浮気してたり、
風俗で病気をもらったり、
ニートになってしまっていたり。。。
旅館の中にあるカラオケスナックで、
営業職の友人がまるで接待をするように、
観光客のおばちゃん、おじちゃんを盛り上げていた。
演歌をバックに、
お母さんのようなおばちゃんとダンスをする友人を見ながら、
仕事もこうして頑張っているのかと、
妙に感心してしまった。
喜んで帰っていく観光客の後姿を、満足そうに見送る友人。
いったい何故、何のために、君は観光客に奉仕するのか。
また別の友人の、
「One Night Carnival」を歌いながら激しく乱舞する姿を、
涙なしには見ることが出来なかった。
動きにキレもなく、息を切らせながら踊るその姿。
ローンを背負い、家族を抱える事の過酷さが十分に伝わった。
ブラボー。
その姿を写メで撮るまた別の友人。
共稼ぎの彼はつい先日も沖縄で豪遊してきたらしい。
何となく余裕が違う。。。
熱海に行ったものの、
ほとんど旅館から出ることなく、
観光する事もなく、僕らは解散した。
場所なんて、どこでも良いんだろう。
離れて暮らしているみんなで、
こうやって集まる事に意味があるんだから。
ニートの友人は来週から仕事を始めるそうだ。
実家で暮らす彼は、
時々、親が自殺してないか部屋を覗いてくれるらしい。
頑張れ、社会復帰。
地域運動会の輪投げに参加するため、
今回の旅行に参加できなかった友人に電話すると、
すごく残念そうに寂しそうな声が返ってきた。
輪投げくらい誰かに任せても。。。
まあ、人が良さは永遠だ。
来年は自分で幹事をやって、自分の予定に合わせるそうな。
来年は、胸張ってみんなに会えるように、僕も頑張ります。
今さらだけど、「イノセンス」
「人はなぜ、人形を必要としているのか」
押井守監督の映画「イノセンス」をDVDで借りて観ました。
本来であれば劇場で観ることが筋だと思いつつも、
なかなか腰が上がらず、現在に至ってしまった。
舞台は、人々が電脳化され、声を出さずとも、コンピューター端末を打たなくとも、ネットワークを通じたデジタルコミュニケーションが可能になる一方、肉体の機械化も進み、人とサイボーグ(機械化人間)、ロボット(人形)が共存する、2032年の日本。魂が希薄になった時代。決してそう遠くない近未来を舞台に物語の幕が開く。
:「イノセンス公式HP」より
http://www.innocence-movie.jp/index.html
肉体の機械化が進んだ未来で、ロボットと人間とを区別するもの、それは、ゴーストと呼ばれる自我が存在するかどうかという、ひどく曖昧なものでしかのしかない。
自我とは何だろう。
自分、自己、行動や意識の主体。
他者や外界から区別して意識される自分。
他社の存在すら、自我の一部なのだろう。
自我を構成するもの、それは環境、経験、それらの記憶なのだろうか。人間の記憶ほど曖昧なものはない。記憶はけして正確ではなく、解釈によって姿を変える。
劇中で語る。
人は人形を見るときに恐れを感じる時がある。
その恐れは、人形の中に自分を見てしまうからだ。
肉体という要素は、自分を確定する、他社と区別する重要なものに違いない。もし肉体を失ったとしたら。人形のように、中身は空っぽなのかもしれない。そんな恐れだろうか。
押井監督の作品は、常に存在や意味の希薄さが漂っている。
だからといって、けして悲観しているわけではない。
意味がないから、意味を作るのだ。
人間には創造する力がある。
僕は勝手にそう解釈している。
押井監督の作品に向き合える事が出来たという事は、自分自身と素直に向き合えるようになったのかもしれない。
また、いつか胸を張って押井さんと会いたい、心からそう感じた。
再会
電車の中で、ある男性と視線が合った。
スーツ姿の生真面目そうな中年男性。
どこか見覚えがあった。
必死に記憶を探る。
実家に戻って間もない頃、
失業保険をもらう為、僕は職業安定所に通っていた。
彼はそこの相談員だった。
僕は生活の為の職探しをする一方で、
1年後に控える家裁調査官の試験を受けるため、必死に勉強していた。
環境、条件から考えると、
僕が難関な試験に合格する確立はゼロに等しい。
自分がどれだけ無駄な事をやっているか、それは十分に自覚していた。
それでも、僕には新しい目標が必要だった。
結果がどうではなく、必死に打ち込める何かが。
職探しに訪れた僕を、彼は簡単に否定した。
受かる見込みはあるのですか?
試験が終われば30歳になってしまう。
30歳で再就職するのと、29歳で再就職するのとでは、
まったく条件も異なる。
考え直した方が良い。
ひどく彼の物言いが高圧的に感じたが、それでも正論なのは間違いない。
案の定、僕は試験に落ちた。
年齢制限から、もう2度目のチャンスもない。
試験が終わって4ヶ月。
受験によって、何を得たのだろうか。
一瞬、視線が合った後、彼は逸らした。
僕はけして逸らさなかった。
あなたに引け目も感じていない、間違ったとも思っていない。
また、何かが始まるのだ。
そうやって精一杯強がることが、今の僕の現実。
彼はきっと僕の事など忘れている。