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My life with Tigers 

タイガースの戦いに一喜一憂しながら、
日々の生活は続いてゆく

映画「亡国のイージス」
「戦後60年、日本はただ太平洋と東シナ海の狭間に、ただ浮かんでただけだ。なあ、平和だったら、それだけで国って呼べるのか?」

http://aegis.goo.ne.jp/index.html
「亡国のイージス オフィシャルサイト」

戦後60年、日本が失った国家としての理想。
専守防衛と軍事力、この二つが抱える矛盾。
総制作費12億をかけ、海上自衛隊と航空自衛隊の全面協力を得て完成したアクション大作。
この映画が完成したということ、映画の評価より、そのことの方が重く感じる。

太平洋戦争で日本が得たもの、それは、戦争を憎むという気持ち。その為に軍隊を放棄し、日本という国家としてのカタチを失ったのなら、僕は日本人である事に誇りを感じる。

人は争う。
愛する人がいる限り、守るべきものがある限り、間違いなく人は争いを起こす。
でも、戦争は違う。何かを守る為ではなく、そこに国家としての利益があるから戦争は起こる。

戦後、日本は軍隊を放棄して、平和を誓った。
その日本の平和は、誰が守ってきたのだろう。
政治家?憲法?自衛隊?アメリカ?

戦争を憎む気持ちと、軍隊を持つということは、矛盾するものなんだろうか。国家として、愛する人を守りたいという気持ちを持つことが、本当に戦争を引き起こすのだろうか。

戦後、日本はアメリカが引き起した戦争に一度でも反対しただろうか。
日本が誓った平和、それは単に与えられた、無責任で自分本位なモノなんじゃないか。
極端だけど、語弊があるだろうけど、そんな思いもある。

防衛庁がこの映画に前面協力をしたという意味。

劇中、主人公は叫ぶ。
艦内の船員、そしてイージス艦を占拠した対日工作員に対して。
「どんなにみっともなくてもいい、とにかく生きろ!」
| 映画 | 02:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
今さらだけど、「イノセンス」
「人はなぜ、人形を必要としているのか」

押井守監督の映画「イノセンス」をDVDで借りて観ました。
本来であれば劇場で観ることが筋だと思いつつも、
なかなか腰が上がらず、現在に至ってしまった。

舞台は、人々が電脳化され、声を出さずとも、コンピューター端末を打たなくとも、ネットワークを通じたデジタルコミュニケーションが可能になる一方、肉体の機械化も進み、人とサイボーグ(機械化人間)、ロボット(人形)が共存する、2032年の日本。魂が希薄になった時代。決してそう遠くない近未来を舞台に物語の幕が開く。
:「イノセンス公式HP」より
http://www.innocence-movie.jp/index.html

肉体の機械化が進んだ未来で、ロボットと人間とを区別するもの、それは、ゴーストと呼ばれる自我が存在するかどうかという、ひどく曖昧なものでしかのしかない。

自我とは何だろう。
自分、自己、行動や意識の主体。
他者や外界から区別して意識される自分。
他社の存在すら、自我の一部なのだろう。

自我を構成するもの、それは環境、経験、それらの記憶なのだろうか。人間の記憶ほど曖昧なものはない。記憶はけして正確ではなく、解釈によって姿を変える。

劇中で語る。
人は人形を見るときに恐れを感じる時がある。
その恐れは、人形の中に自分を見てしまうからだ。

肉体という要素は、自分を確定する、他社と区別する重要なものに違いない。もし肉体を失ったとしたら。人形のように、中身は空っぽなのかもしれない。そんな恐れだろうか。

押井監督の作品は、常に存在や意味の希薄さが漂っている。
だからといって、けして悲観しているわけではない。

意味がないから、意味を作るのだ。
人間には創造する力がある。

僕は勝手にそう解釈している。

押井監督の作品に向き合える事が出来たという事は、自分自身と素直に向き合えるようになったのかもしれない。
また、いつか胸を張って押井さんと会いたい、心からそう感じた。
| 映画 | 02:38 | comments(0) | trackbacks(0) |